カテゴリー「旅行」の70件の記事

2019年5月16日 (木)

道後の旅

 愛媛県松山市の道後温泉に行ってきました。路面電車の道後温泉駅に着きました。

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 ホームにいたのは、新型の車両でした。駅からさほど離れていないところに、道後温泉の本館がありました。

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 手前には、すだれをかけた人力車が数台並んでいました。

それから、ちょっと離れた場所にある石手寺に向かいました。

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 ここの線香立ての灰の量に驚きました。また三重塔はリリシイ感じでした。

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 そこから次の太山寺までの途中にある鴨川橋のたもとには、中務茂兵衛の添え句標石がありました。

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刻印 世の中尓 神も佛も 奈きもの越 まれ尓志ん寿る 人 楚阿連

読み 世の中に 神も仏も 無きものを まれに信ずる 人にぞあれ

 松山城にロープウェイで登ってみました。

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 今日は石崖の草取りの日でした。

帰途、伊予西条と今治の堺にある世田薬師に寄り道をしました。

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 ここにも、中務茂兵衛の添え句標石がありました。

刻印 迷ふ身を 教へて通寸 法の道

読み 迷う身を 教えて通す 法の道

 

 

2019年4月19日 (金)

閑谷学校

 岡山県の旧閑谷学校へ行ってきました。閑谷は「シズタニ」と読みます。岡山藩が作った藩の学校です。岡山城の近くの都会ではなく、うんとへき地の山の中にありました。生徒を山の奥の寄宿舎に隔離して、勉学だけさせたのでしょうか。講堂は国宝でした。

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 講堂の中は広く、一クラス40人は優に収容できそうでした。

また、講堂や寄宿舎などを含めた施設の外側は石塀で囲われていました。

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 石の塀は、身長168センチの自分の目の高さぐらいありました。世の中の外乱から学生を守るためではなく、学生が逃げ出せないようにしていた感じでした。逆の発想の万里の長城だと思いました。学校が閉鎖になった今では、別の効果がある様でした。受付の方に尋ねると、猪は入れないとか。しかし、鹿は入るそうです。

 

2019年4月18日 (木)

虫明 2

1)前日は、岡山いこいの村に泊まりました。そして今日も昨日と同じ海辺の場所に行きました。

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 ここは迫門の曙「せとのあけぼの」の撮影場所です。例年、9月1日には奥にある島と島の間から朝日が昇るようです。季節外れの昨日今日は貸し切り状態でしたが、当日は夜明け前から大混雑となるでしょう。赤色に染まる朝日と違って、今日は夜明けから3時間も経っているので、半逆光で、海面の色が鈍くなりました。

2)順光の場所を探して、南側の長島に足を伸ばしました。ここなら、南の島から北の本土を写すので、海の色がきれいな群青色になりました。

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3)長島にはハンセン病の資料館があり、内部の階段には当時の暗い出来事を何も知らない様な、かわいいシャンデリアがありました。

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2019年4月17日 (水)

虫明湾のカキ筏

 岡山県瀬戸内市の虫明に行きました。ここの地名は<ムシアゲ>と読みます。カキを養殖する筏(イカダ)が海に浮かぶ景色で有名です。夕暮れの虫明湾を写しました。
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 標高を少し上げてみました。前の写真と同じ方角では手前の風景が入りすぎるので、少し右側に向けました。

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 奥の島は長島です。左側の建物がハンセン病の国立療養所関連のもので、右側が島の中央にかかる橋です。

 

 

 

 

2019年3月10日 (日)

備中の旅

 備中を回ってみました。備中とは岡山県の西部地域の名前です。
国分寺 1

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 この五重の塔には、菜の花が良く似合うと思います。

国分寺 2

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 今度は、花にピントを合わせてみました。

広兼邸

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 ベンガラで大儲けした人の邸宅です。住いを石崖という城壁で取り囲んだ造りになっていました。ベンガラとは赤褐色の染料で、酸化鉄でできています。鉄の赤さびの色です。当時は貴重だった様です。24mmで撮りました。

山城の朝

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 今日は朝霧が出ませんでした。霧の中に浮かぶ天空の城を想像していましたが、残念でした。9月か10月なら比較的に霧が多いことが分かりました。備中松山城でした。この地域には四国の県庁所在地とよく似た地名があります。語の先頭に備中とあるのでわかりますが、備中松山、備中高松です。何か縁があるのでしょうか。

 今回より新しいレンズを使いました。望遠の100mmです。35mm換算で160mmとなり、30年ぶりの望遠レンズです。新しいと言っても中古ですが。今までは中望遠の50mmだったので、それよりも倍の大きさに写ります。今後は24、50、100の三点セットで持ち歩く予定です。

2019年2月 4日 (月)

瀬戸内市の旅

 岡山市の東隣にある瀬戸内市に行ってきました。牛窓(ウシマド)のヨットハーバーは波がなく穏やかな朝でした。現像設定を標準から風景に変えて、空と海の青色を濃くしてみました。

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 牛窓から 少し東に移動すると、長島がありました。ここには国立の療養所が2カ所ありました。どちらもハンセン病に関するもので、時間がゆっくり過ぎて行くような所でした。負の遺産として価値がある建物はそれなりに維持管理されていましたが、そうでないものは朽ちていました。せっかくなので、白黒写真にしてみました。

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 今回は白黒画像のコントラストを上げるため、オレンジフィルター(YA3)の試験をしてみました。雲を含んだ青空には効果がありましたが、それ以外には効果がナイような気がしました。フィルターよりも明るさを半絞り暗くした方が黒色がしまって見える様でした。

 



備中国分寺

 早春の備中国分寺に行ってきました。

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 菜の花が逆光で輝いていました。日が沈んでから20分ぐらい経ったら、塔の下の方が 赤く焼けてきました。空の青との対比が感じよくなりました。

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2018年12月 8日 (土)

岡山の旅

 倉敷に寄り道し、今までに行った事が無かった備前地域を訪ねてみました。
倉敷の旧道

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 倉敷は、美観地区の川沿いが有名ですが、川ではなく旧道に沿った家々も昔の雰囲気を保っていました。

2中橋からの眺め

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 やっぱり、倉敷といえばここです。今年は暖かい日が続いていたので、緑色の葉っぱが多く、キレイに撮れました。しかし、午後から冷え込んできました。

3備前焼の里

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 伊部(いんべ)で電車を降りると、レンガ製の煙突がたくさん見えました。陽山居では、茅葺きの古民家を展示室にしていました。この建物の奥には登り窯があり、釜の内部を見ることができました。

4ひなせの海

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 伊部には手ごろな宿が無さそうだったので、電車で3駅ぐらい東側の日生(ひなせ)に泊まりました。ここは海沿いで、カキの産地でした。早朝、宿で自転車を借りて橋の中央部まで行って、カキイカダが浮かんでいる海を撮りました。橋の欄干には備前♡日生大橋(びぜん・ハート・ひなせ・おおはし)と書いてある名板がありました。今時は橋もキラキラネームでした。朝の冷え込みで、カメラのタッチパネルのタッチ操作が使えませんでした。

 尾道に帰省してからの6年間は、ほとんどを車で移動していました。今回は車を車検に出していたので、電車利用となりました。JR在来線の電車で、運転席の後ろからスピードメーターを見ると、80キロくらい出ていました。一般道路での車移動は実効値で時速40キロぐらいなので、電車は車のほぼ倍でした。一方、高速道路の実行速度と電車とは同じぐらいでしょう。ところが、新幹線は高速道路の2倍から3倍あり、相生・福山間が約40分で、新幹線の速さを実感しました。今までの新幹線は、新横浜・福山間を多用していたので、車と比較した事がなく、所要5時間は早いとは思いませんでした。福山以東で新幹線の近距離を乗ったのは初めてだったので、その速さにびっくりしました。

2018年11月22日 (木)

西予の旅

 愛媛県の西予市(セイヨシ)に出かけました。名前の通り、四国の西中央にありました。

1 須崎海岸

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 ここの海岸の岩は面白く、地層が縦じまとなっていました。太古からの地殻変動の歴史があるのでしょう。

2 宇和米博物館

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 宇和(ウワ)小学校を建て替えたときに、古い校舎を高台に移築したそうです。教室には稲の標本や耕運機などの道具が展示してありました。ここの長さ109mの廊下は有名です。雑巾がけの歴代記録や年代別平均時間などが黒板?に書いてありました。雲の間から太陽が出て、その光で窓枠の影ができるのを待って、写真を撮りました。急いでいたのでにピントが手前になリ過ぎて、廊下の奥の方がピント外れになってしまいました。

3 内子の資料館

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 西予から帰る途中に、内子町(ウチコチョウ)で寄り道をしました。ここでは、明治から大正にかけて蝋燭のロウの生産が盛んでした。よく儲けた様で、贅を尽くした立派な家でした。ウルシ科の植物であるハゼノキからロウを作ります。実を蒸してから絞ってロウを抽出し、天日で漂白すると商品になります。灯り用のロウソクだけでは無く、口紅などの化粧品、クレヨンなど幅広い用途だったそうです。大正以降は、安価な工業製品が登場して、一気に衰退しました。幸いにも、全国でこの上芳我邸(カミハガテイ)だけが、当時の姿で残ったそうです。


2018年11月 2日 (金)

足摺岬の旅 石碑編

 高知県の四万十市(旧中村市)から土佐清水市に行く途中に、真念庵があります。この庵には珍しい石碑があったので写真に撮りました。

1 真念庵前の石碑

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 中央に弘化二年九月とあります。弘化二年は1845年で明治維新の23年前です。幕末の頃です。左側に詩句があるので読んでみました。

原文 いざり立目くらか見たとをしか云

    つんぼが聞たと御四国のさた

読み いざりたち、めくらがみたと、おしがいい

    つんぼがきいたと、おしこくのさた

意訳 いざりが立ち、めくらが見たと、唖が言い

    つんぼが聞いたと、四国の評判

 今となっては、不適切な単語の羅列となっています。体の色んな所が悪くても遍路をすれば回復する、との意味でしょう。これほど遍路には絶大な御利益があると書いてありました。

高知県を過ぎて愛媛県最南端の愛南町にも面白い石碑がありました。

2 愛南町柏のへんろ石

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 この道しるべは、明治34年に建てられました。哲学的な詩句が彫ってあるので写真に撮ってみました。

原文 以登嬉し まよひもとけ天 法能みち

読み いとうれし まよいもとけて ほうのみち

意訳 大変うれしい 迷いもとけて 法(正しい)の道

 言っている内容は、遍路をすると迷いが無くなる、と解釈できます。

 写真の右面上部には、右から読んで<舟のりば>とあります。この道しるべの近くに愛南町役場内海支所があったので、この付近に船着き場があったかどうか尋ねてみました。沿岸だから船には乗れますが、船着き場や定期航路はなかったとのお答えでした。これらから個人的に推測すると、標高470mの柏坂を越えて宇和島方面に行くのが通常の遍路の道順ですが、これがつらそうならば、迷わず漁師に船を出してもらって坂を迂回するのも良いのでは、と受け取れると思います。一般的に歩きの遍路は全行程1200キロを全て歩く気概でいます。天気が悪いときなどは、交通機関を使ってもご利益は変わらない、との大胆なご提案ととらえてもいいのでは、と思いました。今様に言えば、特定の分野= #henro への短文投稿(ツイート)でしょうか。 


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